勇者のグラム数
(ピピン編)

-8-

 


王子の修行の成果の程はというと
前、練習中の熱気を冷まそうと頭から水をかぶっているところを狙った事がある。
思い切り下を向いてるし目もつぶっている。耳元は大量の水の音でいっぱいだろう。今ならいけるとハリセンを振り下ろしたが、あまかった。
ハリセンは後頭部に当たる前に腕ごと受け止められ、捻り上げられ、おまけで水ビームのカウンターをお見舞いされた。

最初の頃の、何が起こったかもわからず頭を触りながらキョトンとしていた王子がなつかしい

楽しそうにわらいながら「しゅぎょおがたりないよ」と言われてしまった。
最近では、動こうとした瞬間こちらが手を出す前にハリセンが叩き込まれるようになった。
こちらの動きに気がついているぞというのが伝わってくる。
よく人が言う「隙が無い」とは、こういうことをいうのいうんだろう





ある朝、ティル様が行方不明になった。
あまりにも朝食に現れないものだからキュンナさんが起こしに行ってみると、部屋の中はもぬけの殻だったそうだ。
びっくりしたキュンナさんが、声を上げて事が知れたのだ。
王女探しがはじまった。
王女のことだから、どこかに潜んでまた何か突拍子もないことを企んでいるのだろうと思うのだが。
だが6年前の戴冠式におきたビアンカ様誘拐事件はまだ皆の記憶に新しい。
マーサ様、ビアンカ様に次いでまさかティル様まで…
そんな不安がよぎる。

王女を探し出すのはそんなに難しくはないはずだ。ある程度近づいたら、王女のあの独特なカオリを感じるから。
なのに、お昼が近づいて来ても王女は見つからない。
不安が現実になろうとしていた。

正午過ぎ、王女の行方がわかった。
お昼の鐘が鳴らないと見上げたところにその姿があった。
王女は時計台の長針の先に引っかかっていたのだ。

かくして、誘拐疑惑まで上がっていた王女は見つかった。

何をどうやったらそんな状態になれるのか。
自分の想像力をフル回転させてみたが、どうもついていけなかった。

国中の注目のなか無事助け出されたティル様は、流石にバツが悪そうにしていた。
ラス様がいなくて、ティル様のおてんばにもキレがないようだ。
一晩中引っかかっていたらしい。
何でもなさそうに笑ってはいたがその頬には涙の痕がくっきりあった。

天下無敵のお姫様に、怖いものが出来た。


あいかわらず困ったお姫様だと笑う皆の顔には、この平穏な時間が続く事を何一つ疑う色はなかった

誰か気づいたものはいただろうか


そこらじゅうに鳴り響く歪みの音。




6歳の誕生日が過ぎた。

この頃にはすでに城の中で王子に勝てる者は限られるようになっていた。
そしてその数は月日が経つにつれ確実に減ってきている。
外回りにも参加するようになり、このまま実戦経験を積んで行けばピエール様や近衛隊長が倒されるのも時間の問題だろうと言われている。


順調に思われた修行だが、最近雲行きがあやしい。
どうも最近王子が上の空なのだ。何度も「危ない」と注意されていたが
一昨日、ついに骨折した。
集中的に治癒魔法をすれば治らなくもないが
まだ幼い体に負担がかかるし、ずっとハードな修行をさせっぱなしだから、たまには休養するのも良いだろうということで、昨日今日と王子はお休み中だ。

のどかな昼下がり、持ち場である見張り台にたってあくびをかみ締めていると
突然、向かいの窓ガラスが割れた。すぐにその隣の窓も割れる。

こうして、平穏な時間は終りを告げた。




ティル様とラス様が喧嘩をした。
成り行きはわからないが、とにかくティル様がラス様をひっぱたいて、
それにラス様が怒って、暴れだしたのだと。
部屋中の窓を割って、手当たりしだい物を投げて壊した。

普段大人しいラス様のその豹変振りに皆オロオロするばかりだった。

この日を境にラス様の素行は悪くなっていった。
言葉遣いが荒くなり口が悪くなった。
気に食わないことがあったら、物を壊す。
人の話を全く聞かない。

最初の頃の悪行がたどたどしい時に対処すべきだったのかもしれないが、王子には苦労させてる手前、皆が大目にみる傾向があった。それにどうせ喧嘩の一時だけだろうと高をくくってたのだ。
それが、まずかった。

すっかり問題児と化した王子は、手に負えなくなった。
自分達が叩き込んだ体術のおかげで捕まえるのも難しい。
タチが悪かった。

そしてすぐに終わると思われた喧嘩は一向に終りをみせなかった。
王女は、王子とは口も利かない目もあわせない姿勢をとっている。

オジロン様やドリス様など多くの者が、どうにかラス様と仲直りしてもらおうとティル様を説得したみたいだが、、全くとりあってくれなかったそうだ。

それどころか、ティル様は長かった髪の毛をばっさり切ってしまい皆は真っ青になった。
このときになってやっと気がついたのだ。
事の重大さに。
修復出来ないところまできてしまっていること。

ティル様の顔から笑顔が消え
ラス様の素行の悪さは更にエスカレートしていった。




ため息をつきながら階段を上る。
何をしているかと言うと
もう最近では日課になったラス様探しだ。
授業も剣の鍛錬もずっとサボりっぱなしだ。

自分が見つけたところで捕まえれる自信はない。
せいぜい応援を呼ぶくらいだ。
城では毎日のように王子の鬼ごっこが繰り広げられている。

見張り台への階段を上りきった先に
その姿はあった。

こちらに背を向け手摺にすわっていた。
服を風にはためかせながら何か真剣に前を見つめていた
自分が現れると一瞬こちらを警戒して振り返った。

「なんだ。ピピンか」

自分を確認した王子は驚かすなと、警戒を解いてまた前を向いた。
遠慮なくさらしている背に余裕が見て取れる。
もし、見つけたのがピエール様や近衛隊長クラスであったら流石のラス様も逃げられない。
応援を呼ぶか、駄目もとで捕まえに行くか迷っていると、王子が口を開いた。

「皆、ぼくのこと…ラスのこと叱ってばっかだな」

それはまるで「自分ばっかり叱られる」と不満をたれる、自覚のないいたずら坊主のような言いようで
自分は頬をかいた。
「やっぱり授業をさぼったりモノをこわしたり皆に迷惑かけるのは良くない事じゃないでしょうか」
なんてことを説明したが
自分を振り返った瞳が深く傷ついている色をしていて
自分は口を閉ざした。

「でも。褒める時はラスじゃない」


秋風が自分と王子の間を吹き抜けて行った。

その風は冷たく乾いていて。
手が、頬が、ぴりぴりした。

自分にも記憶がある。
それはもう皆が当たり前のように口にする言葉。
「さすが勇者」

この言葉の冷たさに自分は初めて気がついた。
この言葉は何か褒めているだろうか。

…ラス様を褒めているだろうか。


返す言葉がなかった。

タンッと王子が手すりを蹴った。
それは普通なら大怪我をするくらいの高さで
慌てて駆け寄って下を見下ろした。
王子は軽やかに着地して、走り去っていく。

にげていく背中がさびしそうだった。

直後、階段を近衛隊長が上ってきた。
「ピピン。王子はいたか?」
「あ、はい。あっ…いえ…」
どっちだよ。と苦笑されてしまい、
「こちらにはいませんでした」
佇まいを直してビシッとこたえる。
「そんな改まって言われても困る」
とまたもや苦笑されてしまった。
もう王子との鬼ごっこは毎日の恒例だ。
真剣にやってたら過労死してしまう。
「王子には困ったものだ」と残しながら隊長は戻っていった。

王子がいた場所に立ってみると、そこからはティル様がのぞけた。
一人机に向かい分厚い本をひろげている。


そういえば最近王女の心の香りを感じていない。
自室から出てこなくなり、ほとんど会うことがないのだ。

王女とちゃんと言葉を交わしたのはいつだっただろうか。
一番近い記憶は中庭で出会ったときだ。
王女は退屈そうに空を見上げていた。

「最近、街に遊びに行かれませんね。」
「ラスが頑張ってるのに、私だけ遊びに行けないわ」

でも、武術は駄目っていわれちゃったしなぁ…

「つまんない」

王女と喋ったのはあれが最後だ。
口を尖らせ足元の石ころを蹴る王女はとても寂しそうだった。


短く切りおとされた髪の毛が、風に揺れる
「髪は女の命なのよ!」
そう豪語していたのに。
躊躇する美容師からハサミをとりあげて自らバサリと切り落としたのだと聞いた。
花もリボンも乗っていない、ただ風に揺れるその姿を見ると寂しくて泣きたくなる。

ラス様はずっとここで王女をみていたんだろうか


そういえば…いつからだっただろう。
二人を一緒に見なくなったのは。

前はあんなにずっと一緒にいたのに。


もう、精霊探しはしないのだろうか。







秋の風が悲しい音を奏でながら吹き抜けていった。



春の訪れにはまだ遠く

冷たい冬が待っている。


王と王妃の行方は未だわからない。




 INDEX あとがき